私的複製補償金は「しねばいい」のか~著作権と私的複製と補償金の関係が5分で分かる



11月14日、JASRACなどが作る団体「CultureFirst」が、いわゆる私的複製補償金(私的録音録画補償金)について、幅広い徴収を行うための仕組みを提言した(朝日新聞デジタル:[CNET Japan] 「複製機能も対象に」–Culture Firstが私的録音録画補償金に提言 – CNET Japan(提供:朝日インタラクティブ) – テック&サイエンス)。私的複製に利用される全ての機器を対象にする…といった提言なので、スマホユーザーにとっても他人事ではない。ネット上では、この提言に対する賛否両論、というか多くの批判が見られる。
ただ、ネット上で見られる「批判」の中には、少し的外れなものもあるようだ。そこで、そもそも「私的複製」とか「私的複製補償金」とは何なのか…というような基本的な話から、従ってどのような立場があり得るのか、というところまでを整理してみよう。

執筆:法務博士 河瀬 季(tokikawase.info


著作権と「私的複製」

著作権とは、簡単かつ乱暴に一言で言えば、「コピーを禁止する権利」だ。
例えば、ある本(適当に「進撃の巨人」12巻とかを想定して欲しい)を買う場合と、それを電子書籍として買う場合について想像してみよう。(実際には、私的複製補償金は音楽・動画を対象とし、電子書籍は対象外なのだが、本記事では簡便のため、これらの区別を行わない。)

本の場合
→家で本を読み、それをバッグに入れて持ち歩き、電車の中でも読む

電子書籍の場合
→家のデスクトップPCでダウンロードして読み、スマホにも転送し、電車の中でも読む

本の場合、「電車の中で読む」ためにコピーは発生しない。しかし電子書籍の場合、スマホへの転送時にコピーが発生する。
ただ、スマホへの転送時に発生するコピーは、合法だ。これが「私的複製」という概念。細かい話は割愛するが、「私的に(電車の中でスマホで読むために)行うコピー」は合法である。
なぜ私的複製は合法なのか。一般的には、「著作権者に与える影響が少ないから」だと言われている。…実は、これが非常に重要なポイントだ。私的複製は、「著作権者に与える影響が少ないから」合法なのである。

「白」なのか「白に近いグレーなので白とする」のか

例えば、引用も、著作権法上で合法とされている。筆者の書いた本記事を読んで「こいつはマジで何も分かっていないのでdisってやる」と思った人は、本記事をdisるために、その一部を「引用」する必要があるだろう。これも「コピー」だが、しかし「引用」と認められれば合法だ。
「引用」と「私的複製」は、共に「コピーは著作権侵害」という原則に対する例外なのだが、しかし両者の性質は異なる、と考えられている。乱暴に分かりやすく言えば、引用は「白」であり、私的複製は「白に近いグレーなので白とする」と考えられているのだ。
補償金という制度は、この前提の上で作られている。「1件1件を見れば著作権者に与える影響が少ないから白とする」「けど大量に集まると影響が大きいからお金を取る」という考え方だ。

私的複製補償金を批判する3個の道筋

この上で、補償金を批判するには、大きく3個の道筋があるだろう。

第1の立場:私的複製はユーザーの権利であり、「白」である

上前提はそもそもおかしい、という議論だ。著作権者は、私的に行われるコピーにまで口を出す権利を持っていない。だから「著作権者に与える影響」は、「少ない」とかではなく、「そもそもない(それを『影響』とは言わない)」のである。つまるところ、引用が大量に行われても「引用補償金」とかいう話にならないのと同様、私的複製補償金も意味不明だ。

第2の立場:補償金は理解可能だが、負担分配が不当である

我々が購入しているデータ(例えばMP3)は、「私的複製が『白に近いグレーなので白』になるようなデータ」である。だから理論的には、私的複製に関して何か費用負担をさせられるのは仕方がない。ただ、そうだとしても、負担の分配がおかしい。スマホに補償金を乗せるとすれば、スマホで音楽を聴く人も聴かない人も、同様に「負担」をさせられることになる。
この立場は、直接的には、「自分は払わない、他のユーザーに余分に払わせろ」というように、ユーザー間の「負担分配」を問題にすることになるだろう。ただ実際には、「理論的には負担やむなしとしても、分配が不公平な制度しかあり得ないなら、負担させられるのは不当」というような主張になることが多いように思える。

第3の立場:私的複製はライセンス上許されているはずなので二重負担がおかしい

我々が購入しているデータ(例えばMP3)は、「私的複製用のオプション料金(?)」込みの値段である。私的複製が「白に近いグレーなので白にする」ものだとしても、我々は既に、「著作権者に与える影響」に対応するための余分な代金を払っている。いわば、「私的複製の許諾」に関するライセンス料金、とでもいうべきオプション料金(?)だ。従って、「著作権者に与える影響が存在する(=上記オプション料金が払われていない)」ような私的複製は、大量には生じていない。
やまもといちろう氏の記事(私的録音録画補償金でまた色々と盛り上がっているようです(山本 一郎) – 個人 – Yahoo!ニュース)中、「MovieNEX」の話などに関する部分は、この立場だと考えられる。

我々はどのようなデータ(ライセンス)を買っているのか

第2と第3の立場の対立は、我々はどのようなデータ(ライセンス)を購入しているのか、という点にありそうだ。つまり、例えばある曲のMP3を200円で購入した際、その「200円」という価格が付けられたものは

・A: 私的複製が「白に近いグレーなので白」になるようなデータ(をダウンロードするライセンス)
・B: 私的複製用のオプション料金(?)が乗せられたデータ(をダウンロードするライセンス)

のどちらなのか、ということである。即ち、穿った見方をすれば、著作権者は、以下のような「嘘」をついてデータ(ライセンス)を販売していないか、ということだ。

1. 販売時には「Bですよ」というような顔をして売る
2. 補償金の議論では「当然にAですよ」という顔をする

例えばAmazonは、Kindleに関して「Amazonで購入したコンテンツは、Kindle Fire以外の端末でも、簡単に楽しめます」と説明する。このような説明でKindleや電子書籍を購入したユーザーが、他デバイスへのデータ転送時、そのコピーを「白に近いグレーなので白」と考えるだろうか。
別の言い方をすれば、我々は、例えば「本から電子書籍へ」という場合に、「モノを買うわけではなくなる(けど所有欲を満たせるかな?)」などとは考えるが、「電車の中で読む(ためにコピーする)ことが『白に近いグレー』になってしまうな」とは考えないのではないだろうか。

「補償金制度がしねばいい」のか、「販売時の値段が高すぎる」のか、ということである。

法務博士 河瀬 季
東京大学 法学政治学研究科 法曹養成専攻 卒業。
2002年から「tokix」名義で、雑誌「ネットランナー」「PC Japan」への寄稿、書籍「iPod for コレクターズ」の全編執筆など、多数の雑誌・書籍における執筆活動を行う。2009年に東京大学の法科大学院(ロースクール)に進学し、2013年に司法試験に合格。

参考

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2013年11月16日22時06分 公開 | カテゴリー: マルチメディア | キーワード:, | Short URL
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